胃酸の過剰分泌や逆流によって起こる疾患を酸関連疾患と呼んでいます。実際には消化性潰瘍(胃・十二指腸潰瘍)や胃食道逆流症のことを指していますが、最近では機能性ディスペプシアも含めています。消化性潰瘍は減少の傾向ですが、食生活の欧米化、ピロリ菌感染率の減少等により、胃食道逆流症は増加の一途を辿っています。今まで酸関連疾患に於いて胃酸は人類の敵であるかのように扱われてきました。1824年にWilliam Prout (1785-1850)が胃内に塩酸を発見(Prout W. On the nature of acid saline matters usually existing in the stomachs of animals. Phil Trans R Soc Lond 114;45-49: 1824)して以来、酸関連疾患治療の歴史は胃酸分泌抑制剤開発の歴史でもありました。1980年代にはH2受容体拮抗薬が開発され、1990年代からは更に強力な胃酸分泌抑制作用を有するプロトンポンプ阻害剤(PPI)が使用可能となりました。数年前からは従来のPPIとは異なる作用機序で胃プロトンポンプを阻害する新しい胃酸分泌抑制剤であるカリウムイオン競合型アシッドブロッカー(P-CAB)が登場し、PPIに代わる酸関連疾患治療薬として注目を浴びています。
ここで「胃酸は必要か?」という疑問が自然発生するのは当然だと思います。比較解剖学と生理学の研究により、胃酸は約3億5千万年前から脊椎動物の進化過程において存在し、個体の生存に有利に働いていてきたと考えられています。では胃酸の生理的機能について、述べてみましょう。
細菌増殖の抑制・殺菌
ヒトの胃内のpH(水素イオン指数、酸・アルカリの度合いをその目盛りの数字で表すもので、 pH7を中性とし、それ未満を酸性、それより大きければアルカリ性としています)は1~2に保たれていて、pHが3以下では細菌は増殖できないと言われています。したがって胃酸分泌が抑制されると、pHは上昇し、胃液の殺菌効果減少により肺炎や細菌感染性腸炎が起こりやすくなります。
消化・吸収
タンパク分解酵素であるペプシンは前駆体のペプシノゲンがpH4未満で活性化されてペプシンになります。また胃酸は鉄、カルシウム、マグネシウム、ビタミンB12の吸収に関わっています。胃酸分泌を抑制すると鉄の吸収が抑制され、鉄欠乏性貧血が、カルシウムの吸収が減少すると骨量減少が起こり骨折のリスクの増加が、マグネシウム不足では悪心,嘔吐,筋肉のけいれんが、ビタミンB12の欠乏が起こると、悪性貧血、神経症が起こります。
消化管機能調節
胃酸は胃、十二指腸、小腸の内分泌細胞とネットワークを形成して、消化管機能調節を行っています。
このように胃酸は我々にとって必要な存在であることは明白であります。胃酸分泌抑制剤の長期投与により上記の安全性に関する懸念が考えられますが、PPIの安全性は高いといわれています(Gastroenterology 139;1115-1127:2010, Dig Dis Sci.56;931-950:2011)。しかし、PPI、P-CAB等の強力な胃酸泌抑制剤の長期投与に関しては、注意が必要であることは言うまでもないでしょう。
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